不思議な毎日~人生迷走中?

私の人生で起こった不思議なこと~不思議・雑記

第61話 オレンジ色の服の医師

今回のタイトルは「オレンジ色の服の医師」です。

 

私は物事を中途半端にすることが多いのですが、次の3つのことは誰にも負けない自信があります。「数学、犬の世話、病気の治療」です。とりわけ「病気の治療」に関しては他の人が取り組まないような治療にも取り組んできました。その中で知り合った治療家の一人、「オレンジ色の服の医師」についてお話ししたいと思います。

 

今から11年ほど前、まだ東日本大震災が起こる前のことだったと思います。私はある本で広島の隣県、山口県山口市にT内科という珍しい治療をする病院があるのを知り、大変辺鄙なところでしたが、通院することにしました。T内科は山口市宇部市の境界にあり、広島からは新幹線で新山口駅山口市)に行き、そこから宇部線に乗り換えます。宇部線は1時間から2時間に1本しかなく、往復するだけでも一苦労です。

 

初めてT内科に行った際、まず病院が駅の前にあるものの、田んぼの真ん中にあるのには驚きました。駅を利用する人が一日当たり百人もいない駅です。もちろん無人駅です。周りには喫茶店はおろかコンビニもありません。私は本当にここに時代の最先端をいく病院があるのだろうか?と思ったほどです。病院の入り口を開け、挨拶をすると「遠いところをわざわざお越しいただきました。」と受付の方が挨拶を返されました。

 

診察を受ける前に問診票に記入しました。そしてすぐに血液検査がありました。その後、医師の診察です。診察室に入って医師の姿を見るとオレンジ色の私服を着ていました。私より年下の男性医師です。「初めまして。私が医師のTです。遠いところをわざわざお越し頂きました。私の治療はかなり変わっています。暫くの間大変かもしれませんが2週間に1度お越しいただけませんか?」物腰が大変柔らかい感じでした。私は2週間に1度通院することを了解しました。「私の治療は、加圧トレーニング、AKA博田法、爪もみ、鍼などを行います。小さい鍼が入ったシールを貼りますが、どのシールを貼るかは当日患者さんを拝見したときの私の気分で決めます。治療が多少しんどいかもしれません。しんどい時はおっしゃって下さい。もし、普段の生活で体調が悪ければ漢方薬を出します。」T医師の治療は免疫力を高める治療でした。治療の中心はAKA博田法で身体の関節を手でさっと触り直す方法です。触れただけで治療をするのでまるで魔法のような治療です。

 

そして暫くの間、私は2週間に1度通院しました。T医師は毎回オレンジ色の服を着ています。「私が患者さんにお伝えしたいことがいくつかあります。1つ目は私は病名をつけることはよくないと思っています。カルテに書きはしますが、病名をつけると患者さんに固定観念が入ってしまい、治るものも治らなくなります。2つ目は仮にもう長くないと思われる患者さんでも余命は言わないことにしています。仮に余命後何年ですよと言うと本当にその通りになってしまいますからね。大丈夫ですよ。患者さんは必ずよくなりますよ。」

 

治療後しんどくなることが多かったのですが、体調は上向いてきました。ただ加圧トレーニングはあまりにもしんどいため途中で断念しました。ある時T医師が書いているブログを読むと次のように書いてありました。「私は診察室でオレンジ色の服を着ていますが、それには理由があります。オレンジ色を着ると心が癒されるからです。患者さんの中でもオレンジ色を着て欲しい人には私から申し上げるようにしています。」残念ながらT医師は私にオレンジ色の服を着るよう言われることはありませんでした。

 

T医師の考えは、「治療家は病気のほんの一部しか治すことしかできない。もちろん治療は本気になって治療をする。治療をするというよりも本人が病気を治そうとする力を引き出すことが治療家の役目である。」といったものでした。T医師は対話を重視し、私に病気を治す考え方を伝授されました。病気を治すために一番大切なことは自分自身が幸せになることである。どんなにいい治療を受けても幸せにならなければ病気はよくなることはないといった考えを私に伝授されました。その時は分かったような分からないような複雑な気持ちになりましたが、今となってはその通りなのだと思います。人間は何はさておき幸せになるため、人生を楽しむために生まれてきているのだと思います。

 

T医師はやはり医師であるお父さまの病院で治療をされていましたが、私が通い始めてから1年と少し経過した頃に独立されて別の場所で治療をされることになりました。私は通うのが大変なのでこの時点で治療を中止することにしました。中止したもう1つの理由は治療の後しんどくなることが多かったからです。

 

今となっては私にとってT医師との出会いは懐かしいよい思い出です。おそらく今も元気に患者さんと向き合い、治療を行っておられることと思います。

 

(追伸)

T医師を巡っては面白い偶然がありました。この当時私は全く別のところで山口県出身のH君(前出の島の出身のH君とは別人)と友達になったのですが、H君の奥さんは看護師でした。T医師の奥さんも看護師で私が通っていたT内科で看護師をされていました。なんとH君の奥さんとT医師の奥さんは看護師仲間でよく知っているとのことです。ただ私はT医師には一切この事実は黙っていました。