不思議な毎日~人生迷走中?

私の人生で起こった不思議なこと~不思議・雑記

第82話 信念の人

今回のお話は、第82話「信念の人」です。

 

中学2年の技術の先生に関するお話です。まず、最初の授業で自分の名前を黒板に書かれました。「まず、初対面の方々には、最初に私の下の名前を紹介することから初めています。苗字はありふれていますがね・・・」と言われて自分の下の名前を黒板に書かれました。「甲子生です。」「(生徒一同)オー」「皆さん、オーと言われるでしょう。私、それが好きなんです。」「でもね、私野球があまり好きではないので、正直自分の名前をあまり気に入っていません。」「別に野球を悪いと言っているわけではないですよ。立派なスポーツだと思いますよ。皆さん化学のA先生をご存知ですか?」(半分くらいの生徒が手を挙げました)「ご存知の方、そうでない方がいらっしゃる。

A先生は大変野球がお好きですよね。A先生は私に名前が羨ましいとおっしゃる。でも、私はあまり・・・」

 

その技術の先生(以下、B先生とします。)は、定年後に非常勤講師として勤務されている先生でした。話は逸れますが、技術の先生はたいてい数学の教員免許も持っておられます。(必ずしも持っている訳ではありません。)私自身、数学は大好きでしたが、技術はあまり得意ではなく、嫌いな教科でした。

 

あるとき、こんなお話をされました。「皆さん、教員にとって一番難しい仕事は何だと思いますか?」「はい」と一人の生徒が手を挙げました。「生徒を東大に通すことですか?」「いやいや、そんなことよりももっと難しい仕事があります。」「それはね、ずっと授業中に横を向いている生徒を前に向かせることです。」「えって思うでしょ。それは無理はありません。でもね、私ここの学校以外にも女子高に勤めたことがあるんですけど、30人くらいの先生方がそれをやろうと思って断念されたんですよ。私はできたんですよ。」「それとね、東大に通すこと。一見難しく見えるでしょ?実はね東大に行く生徒のほとんどは自分で勉強します。だからね、よっぽどずっと横に向いている生徒を前に向かせることの方が大変なんです。うそだと思ったら、皆さん一度教員の立場になってやってみられるといいと思いますよ。そんなに簡単ではありませんから・・・」

 

私もその後、教える立場になりました。B先生のおっしゃることは本当で、授業を全く聞く意志のない生徒に授業を聞かせるのはとても大変です。また、ある程度やる気のある生徒を合格に導くのはそれほどではありません。自分から勉強するのですから。

 

また、B先生は自分自身があまり体が丈夫ではなく、たびたび体調を崩しがちであること、そして自分の余命はあまり長くないのではないかともおっしゃいました。ただ、無理をせず養生するようにはしているともおっしゃいました。

 

ある時、事件が起きました。B先生は何があっても授業中笑顔を絶やさない先生でした。ただ、ある生徒が授業中立ち歩いて話している様子を見て堪忍袋の緒が切れてしまったのです。「こら。あなたがね、授業を聞かないのは私は一向にかまわないよ。ただね、彼はね、聞いているんだよ。そんな人をね、邪魔だけはするな。」いつも笑顔を絶やさないB先生が怒る様子をみて、生徒一同みんなびっくりしました。B先生はその後、いつもの笑顔に戻り、再び授業を始められました。

 

B先生には中学2年、3年の2年間学びました。最後の授業のとき、こんなお話をされたのを覚えています。「私ね、日本はおそらくよくない方向に向かっていくと思います。今はね確かに繁栄していて平和ですよ。皆さんが大きくなられた頃には分かりませんよ。」

 

B先生の預言は的中しました。B先生のおっしゃる通り、私が成人した頃、バブルが崩壊し、日本はなかなか負の連鎖から立ち直れない状況が続きました。

 

それから30年近く経ってB先生の訃報を地元の新聞で拝見しました。90歳まで生きられたようです。自分が身体が丈夫でないので養生しながら生きられたようでした。一方、野球好きだった、化学のA先生はいつも元気そうでした。私はA先生には高校時代に習いました(私の学校は中高一貫校)。当時A先生は50歳前後でした。A先生の訃報を目にしたときは大変驚きました。70歳で亡くなられたのです。誰がどう見てもA先生はお元気そうでした。人生、どこでどうなるか分からないものですね。